カテゴリ:ある日の日記( 5 )

Baby,

You are too innocent to know such a dangerous world.

なんか、かえってかわいいんですけど。イヒッ。
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by ahirunoko724 | 2010-09-26 23:34 | ある日の日記

Never a dull moment

a0085574_7144227.jpgな生活は確かに楽しいし、勢いがあるし、面白いし、退屈はしない。ここ(イスラエル)に赴任する前に誰かが言ってたな、ここでの生活はそうだよって、誰の引用だったかも覚えてないけど。こんな時にこんな所に来てしまった。やっぱり、お父さんとお母さんの言うことを聞いておくべきだったかも。今更、遅いか(笑)。

あんまり刺激が強すぎるとどーっと疲れる。ドルフィナリウムにたむろしている若いお兄ちゃんやお姉ちゃん、スバロ・ピザでピザを食べてる子供達、たまたまアズリエリ・センター近くに居合わせた人達には何の罪もない。あまりにもブラック過ぎるジョークに苦笑い。結婚式場の床まで抜け落ちた。

もう少し、静かに過ごせないものかな。            【2001年8月12日】
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by ahirunoko724 | 2007-10-12 07:23 | ある日の日記

ヨム・キプールの記憶(3)【そのジョーク、寒すぎにつき】

2003年10月5日(日)

夕刻、いつもお世話になっているD先生のお宅のヨム・キプール・ディナーに呼ばれた。このお家はかなり世俗的なお家で、「一年間のごめんなさい大会」開始。

私のこのご家族に対するごめんなさい:
「実は、独立記念日の日のバーベキューで炭をゴミだと思って捨てちゃったのは私......。ごめんなさーい(しゃぁしゃぁと、悪びれもせずに)」

D先生のご家族:
「あー、お前かー、犯人は!あの時は炭を探しまわって大変だったんだよ!ゴミと間違えるなんて信じられない!と(非難ごうごう)」

私:「ちょっとー。ごめんなさい、って謝ったら許してくれるんでしょ?それがヨム・キプールなんでしょ?心狭いなー、みんな。フンッ」と逆ギレ(笑)。

この年のイスラエルの独立記念日、私はこのご家族のバーベキューに呼んで頂いた。イスラエルでは、独立記念日(ユダヤ暦でカウントするので毎年微妙にズレてる)には何故かバーベキューをする。皆で準備して車で近くの公園へ、さぁ、出発。が公園に到着してみると、炭がない。皆が探している中、ハタと気が付いた。「しまった、もしかして、お台所にあった私がゴミ袋だと思って捨てちゃった袋、あの中に炭が入ってたんじゃぁ......。そう言えば、何だかゴツゴツしてたし。うわ、ヤバイかも......」と思いつつ(笑)......。

夕食の後、CNNでイスラエルのシリア空爆についての国連安保理が中継されていた。

a0085574_112420.jpgDanGillerman対国連イスラエル大使がちょうど演説をしていた(今でも、何故かこの演説は覚えている)。彼はまず、ヨム・キプールというこのユダヤ教徒にとって神聖な日に呼び出されたことに対して何度も何度も抗議を重ねた。その後、中間部分はシリアがいかにテロ支援国家であるか、イスラエルには自国を防衛する権利があるとの主張を繰り返し、最後のくだりに入った。イスラエルがイスラエルだというだけで、非難の対象になるような、そんなダブル・スタンダードはいますぐに排除されるべきだ。このダブル・スタンダードという言葉について、彼はほかにもいくつかの例を挙げた。そうして、最後の最後に、「今、世界中が見ている。そうして、今日、このヨム・キプールという神聖な日、何よりも神様が見ている」という言葉で演説を締めくくった。

この中継を見ていたD先生一家と私のやりとり

私:神様はパレスチナ人の自爆テロリストが十数名の命を奪ったところも、イスラエルに対して批判的な国連安保理の様子も見ているだろうけど、イスラエルがシリアを攻撃したところだって、見てますよね。

D先生:まぁ、確かに、そうだね。ところでさ、何でイスラエルがヨム・キプール前にシリアを空爆したか知ってる(ニヤリと笑いながら)?

私:(あぁ、これはジョークの始まりのサインだ)さぁ、思いつかないですけど、ヨム・キプール終わってからでも良かったんじゃないですかね?その方が作戦立てる時間だってあるだろうし。

D先生:君は本当に分かってないなぁ。ヨム・キプール前に空爆して「ごめんなさい」って謝れば一年分の罪は消えるけど、ヨム・キプール後に空爆したら一年後にしか「ごめんなさい」って言えないから一年間その罪を背負ったままになるからだよ(ニヤニヤうれしそう)。

私:うわー、寒すぎです。そのジョーク(若干、口が開き気味)。

D先生の奥様:まぁ、でもイスラエルがシリアを攻撃したことに対して「ごめんなさい」って思うかどうかは、また、別の問題よね。

私:この夫婦のジョークのセンスってっていったい……と思いつつ苦笑い。もう開いた口が塞がらず。

私が仲良くしてもらっているイスラエル人の友人達のユーモアやジョークのセンスはかなりブラック(苦笑)。ユダヤ人が自分で言う分にはかまわないんだろうけど、他の人から言われちゃったりしたら切れちゃうだろうなぁ(笑)。

当のD先生のご発言

「僕はさ、ユダヤ人のこと嫌いだって言う人は、結構いいセンスしてると思うんだよね。僕もきらいだもん」と。だから、寒いんだってば、そのジョーク。どう反応していいか分からないのです。
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by ahirunoko724 | 2007-09-28 01:19 | ある日の日記

ヨム・キプールの記憶(2)

2003年10月5日(日)

同僚からの電話で、昨日のハイファでの自爆テロを受けて、イスラエルの戦闘機がシリア・レバノン間の国境付近(シリア側)にあるパレスチナの訓練キャンプ1箇所を攻撃したとのことを知らされた。CNNをつけたら、何度も何度も同じ映像が流れていた。イスラエルの理論はこうだ。

「(昨日のテロに関して犯行声明を出した)イスラミック・ジハードは他のテロ組織と同様、イランやシリアを始めとする国々の支援を受けている。シリアはテロの支援国家であり、地域に静寂や安定を得るための取り組みを絶えず妨害しようとしている」

この空爆は1973年以来、初のイスラエルによるシリア空爆になるとのこと。昨日のハイファでのテロの死亡者は19名、負傷者は45名。うち5名は重傷だという。この国でテロ発生時に「重傷者○名」と報道された場合、残念ながら、この○名はほぼ全員死亡者数に加わることになる。

通常、イスラエル国防軍は、シャバット、ユダヤ教の宗教行事がある際には活動を停止する。ただ、もちろん、国家安全保障や人命に関わるような事態が発生すれば違うお話で軍は直ちに動き出す。この日の日没からヨム・キプールが始まろうとする今日のこの日、イスラエルはシリアのパレスチナ訓練キャンプを攻撃した。このことで、イスラエルが、昨日のハイファの自爆テロをどれほど大きく受け止めているかがうかがえる。

イスラエルにより空爆された場所は、ダマスカスの西方約50km。シリアは、テロ組織と関係のない市民が居住するキャンプが空爆されたとして、イスラエルを非難するよう国連安保理に要求することも含めて、外交チャンネルを通じてこの空爆に反応する構え。国連安保理開催かな。

昨日の夕方、いつものドライブ・コースを走ってハイファへ向かった。テロの前に先生と一緒に食事をしたマキシム・レストランの前では、まだ警官や軍の関係者が作業を続けていた。途中で買った花を少し離れた場所にお供えした後、日没まで夕焼けを眺めて、テルアビブへ戻った。

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写真は、この年のヨム・キプール明け直前のテルアビブのビーチの夕焼け(過去の日記やいろんなものを見直すと2003年の10月6日の日没を撮ったものだと思われます)。ハイファでのテロから数えて、3回目の夜を迎えようとしているところ。ヨム・キプールを終えて、この日の夜から新しい1年が始まろうとしていたところ。
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by ahirunoko724 | 2007-09-27 00:20 | ある日の日記

ヨム・キプールの記憶(1)

先日、イスラエル人の友人から、「今年2007年、9月21日の日没からヨム・キプールが始まるんだ。去年一年、迷惑かけちゃってたらごめんね、今年もよろしくね」との連絡が入った。

ヨム・キプールとはユダヤ教徒にとっての神聖な「贖罪の日」であり、この日は、過去一年間の罪を悔い、新たな気持ちで一年をスタートする節目に当たるため、彼らにとっては重要な意味を持つ日なのです。

今回は、当時の日記を読み返しながら、イスラエルに住んでいた数年前のヨム・キプールのお話を少し。

2003年10月4日(土)

週末第1日目、昨日のエルサレムでのパーティーで遅くまではしゃいだせいで、昼過ぎまで気持ちよく寝ていたところ、同僚からの電話で叩き起こされた。ひどい、こんなの拷問だ。イスラエル北部の街ハイファのマキシム・レストランで自爆テロ発生とのこと。被害は大きい。この連絡を受けて慌てて出勤。8月19日、バグダッドの国連本部で大規模な自爆テロが発生し、その日の夜にエルサレムでも自爆テロ発生。これ以降は、暫く静かだったのに。

今回のテロはパレスチナ人の女性テロリストによるもの。父親が病気でイスラエル側の病院に入院させたかったものの、ブラック・リストに名前が載っていたために入院できずに亡くなったらしい。

通常、自爆テロ発生率が高いのは、日曜日の早朝。イスラエルの一週間は日曜日から始まる。兵役中の若い兵隊さん達は、大抵、週末は実家に戻り、日曜の朝に実家から任地へ向かう。彼ら彼女らはターゲットになり易く、この時間帯にはテロの発生率が高い。過去数年間の自分の記憶を辿っても、日曜日の早朝に電話で叩き起こされたことが数え切れないくらいある。

一方で、土曜日(正確には金曜の日没から土曜日の日没まで)はユダヤ教の安息日(シャバット)に当たるため、午前中には人々もあまり出歩かないので、ターゲットが少ないせいか、この時間帯にテロが起こる可能性は高くはない。記憶を辿っていくと、土曜日の夜に起こった大規模なテロは数件思い浮かぶが、午前中に起こったものはちょっと思い浮かばない。

人の運命は本当に紙一重だ。2日前、私はハイファ大学の先生と一緒にこのマキシム・レストランで夕焼けを見ながら食事をしたばかり。「ハイファはね、ユダヤ人とアラブ人の共存のお手本みたいな街なんだよ。ほら、ここのお客さん達を見てごらん。ユダヤ人もいれば、アラブ人もいるでしょ?」なんて、先生言ってたな。共存って、可能なのかな。ただのきれいごとなのかもしれない。

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ヨム・キプールの日には、一切の労働が禁じられます。掃除・洗濯・家事一切、そうして車の運転も。だから、街には車が一台も走っていない(もちろん、緊急の場合は例外)!そんな訳で、当時の自宅近くのラビン広場(95年にラビン首相が暗殺されたことからこの名前になりました。それ以前は、ソロモン広場と呼ばれていたらしい)もこーんなに静かでした。
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by ahirunoko724 | 2007-09-26 02:52 | ある日の日記