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平和に続く道

a0085574_191874.jpgこの道は、ローマに続く道。

どこかに、ないかな。平和に続く道。

Harry Potterに出てくるドビーがパチンと指を鳴らしたら、平和に続く道に立てるとか?そんなの、やっぱり、無理だよね。

イラク人のカウンター・パートが言っていたっけ。「ずっと、ああいう国に住んでるとね、平和ってどんな状態なのか分かんなくなっちゃうんだよ。だって、イメージ湧かないもん」って。
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by ahirunoko724 | 2007-08-31 01:12 | ふと、思う

いつか、行ってみたい場所

a0085574_0555935.jpg"Tomorrow will be definitely worse than today"なんて寒すぎてシャレにもならないジョークを言っていても、やっぱり、自分の国を良くしたい、という気持ちは強い。

ここ、どこだろう。

いつか、きっと、行くからね。
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by ahirunoko724 | 2007-08-30 00:52 | ふと、思う

ラクダ

ワディ・ラムで見つけたラクダ。その昔、ワディ・ラムの岩が地図として使われていたとのこと。ちなみに、このラクダはダマスカスへ向かっているらしい。へー。やっぱり、昔の人は、エライな。

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by ahirunoko724 | 2007-08-27 04:52 |

Annual Leave in Baghdad.

a0085574_38351.jpgもう3年くらい一緒に仕事をしている、とある国際機関のイラク人スタッフ。もともとはバグダッドに住んでいたのだけど、治安の悪化に伴い、現在はアンマンで勤務中。

先週、彼女と電話で話をしていたら、「私、来週から暫く休暇なの。引継ぎは○○さんにしておいたから、大丈夫よ。でもね、何かあったらすぐに連絡してね。バグダッドでも私の携帯繋がるからね」と。「そうだよね、休暇だから国に帰るんだよね。そうだよね、イラクで生まれて育ったんだもんね。家族のいるバグダッドで休暇なんだよね。家族に会いに帰るんだよね。私も、少なくとも一年に一度は休暇で家族に会いに帰るんだ。甥っ子と姪っ子がとってもかわいくってね。次は、多分、年末・年始かな」なんて他愛のない話をした。そんな話をしながら、何だか、とても複雑な気持ちになった。バグダッドの空は何色なのかな。
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by ahirunoko724 | 2007-08-26 03:13 | ふと、思う

ジャスミン

この地域では夏になると、あちこちでジャスミンの香りが漂ってくる。

お気に入りのジャスミン・シチュエーション。

エルサレムのアメリカン・コロニーの夜のサマーガーデン。週末のパーティーの後は、必ずここでお茶して酔いを醒ますのが習慣だった。ジャスミンの香りが漂うこのサマーガーデンで、カプチーノを飲みながら、大好きな人達と一週間のアレコレを話しながら、これから始まる楽しい週末の前夜祭(テロさえなければ、ね)。テルアビブに戻る前に、ジャスミンを少しばかり手折って、「はい、これ、車の中でいい香りがするよ」なんて、ちょっといい。

ダマスカスの旧市街近くの公園。ここにもジャスミンがキレイに咲いていた。散歩してるといい香りが漂ってくる。

いつか、やってみたいこと。多分、どこかにも書いたけど、平屋一軒立て、広いお庭の生垣にジャスミンの花。

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by ahirunoko724 | 2007-08-25 05:09 | お気に入り

Curfewの認識

初めて、この単語を読んで、辞書を引いたのは、確かイスラエルにいた頃だったと思う。「外出禁止令」。イスラエル国防軍が西岸に侵攻したため、西岸では外出禁止令が敷かれている、というような文章を読んだ。私がイスラエルに滞在していた間は、暴力の連鎖が続いていた時代で、誰もが「予測しえた最悪の状態よりも最悪」と表現するような時代だった。だから、その後も、curfewとくれば、私の頭の中では、「外出禁止令」と認識されていた。

その後、今の仕事についてからも、耳にするニュースは、curfewとくれば、外出禁止令、とくるようなものばかりだった。が、ある時、日本を訪れたイラク人と話をしていたら、「日本で泊まった宿舎では毎晩Curfewがあってね」なんて話を聞かされ、「えーっ、日本って外出禁止令が出るような国だったっけ?」と一瞬考えてしまったが、「門限」ですね、この場合(笑)。

Curfewという言葉を「外出禁止令」と認識する環境と「門限」と認識する環境。後者の環境で育つことができた私は、とても運が良かったと思う。
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by ahirunoko724 | 2007-08-24 04:59 | 小ネタ

写し鏡

イスラエルの有名な外相、故アバ・エバンの次の言葉、いろんなところで比較的頻繁に引用されている。

"They never missed an opportunity to miss an opportunity"

これは、イスラエル側から見て、パレスチナ側が、ということだけど、多分、パレスチナ側も同じことを思っているんじゃないかな。まるで、映し鏡みたい。

イ:「そっちが、振り上げた拳をおろしたら、こっちもおろしてやる。テロ行為をやめれば、占領地から撤退して入植地を撤去してやる。」

パ:「そっちが、振り上げた拳をおろしたら、こっちもおろしてやる。占領地から撤退して入植地を撤去すれば、抵抗活動をやめてやる。」

でも、写し鏡だから、自分が拳をおろさない限りは、相手も拳をおろさない。でも、こっちが拳をおろせば、向こうもおろしてくれるはず(?)。

「そっちが○○してくれたら、こっちも○○してあげる」。映し鏡だから、相手にそう望むなら、こっちから行動してみてもいいかもしれない。
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by ahirunoko724 | 2007-08-23 03:43 | ふと、思う

戻ってきた万年筆

お気に入りの万年筆が修理から戻ってきた。同僚が6月に一時帰国した時に修理のために持ち帰ってもらって、それを実家に送ってもらい、更に、実家から今回一時帰国中の同僚に送ってもらって持ち帰ってもらった。

a0085574_2485533.jpgこの万年筆、仕事を始めてからのお付き合いなので、もう6年目に突入。「ものを深く考えて書くときに、安物のペンやシャーペンなんか使うんじゃないよ。和平交渉なんかでも、署名のときには普通は皆、良いペン使ってるんだからさ。普通は。お給料もらってんだから、コレ、と思える一生モノの万年筆を買いなさい。そういうものはちゃんと修理してくれるんだから」と最初の上司に言われて、清水の舞台から飛び降りるような気持ちで結構な大金を出して買ったパーカーの万年筆。

もちろん、仕事でサクサク書くときにはDr.グリップを愛用したりもしているが、やっぱり、思い入れのある万年筆は違うな、と思いつつ、日記を書いた。やっぱり、こっちの方がいいや。

追記:確かに、普通、和平合意の署名なんかでは皆、良いペンを使う。が、しかし、1993年のオスロ合意署名の際にイスラエルの故イツハク・ラビン首相が使ったペンは、同国でならどこででも買える、安物のペンだったということが後々判明。まぁ、確かに、上司は「普通」と言っていたので、うそではないが。
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by ahirunoko724 | 2007-08-22 02:52 | お気に入り

イラク紙幣?

先日、同僚から旧政権時代のイラク紙幣を貰った。当然のことながら、もう流通していないが。

と、同時に、こんなものも貰った。うーん、シュールですね。ジョークにするにも寒すぎる。

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by ahirunoko724 | 2007-08-20 22:08 | 小ネタ

戦後復興に必要な人

先日、某国大使にお会いする機会があった。

この方については、友人から話を聞いたことがあった。長い間、米国で教育を受けていたせいか、第一印象としては、頭が良く洗練された人、というイメージ。話をしてみると、右納得。穏やかで、人の話に耳を傾けることが上手で、謝辞をさらりと延べつつ、さりげなく自国の持つ可能性を宣伝する。彼の話を聞いていると、本当に、希望があるように思える(思いたい)。

「この人、何か勘違いしてない?ちょっと、あなた、お父さんとお母さん、ここに連れてらっしゃい。私が、小一時間お説教してあげます。」と言いたくなるような人々も少なくない中、これだけの好人物に出会ったのは久方ぶりで、非常にうれしくなった。頭の回転が速く、ジョーク好きで、かもし出す雰囲気が暖かい。「僕、偉いんだからね」みたいなところが全くなくて、自分でサクッとアポ取って、サクッと出向いちゃうフット・ワークの軽さにも正直、驚いた。

今の仕事をやりたいと思った理由の一つとして、次のものが挙げられる。しかも、自分の中では、かなり高い割合を占めている理由として。

私は、日本の戦後復興にも興味がある(詳細は割愛)。が、もちろん、戦争を知らない世代なので、本や人から聞くことでしか知識を得ることができない。でも、他国の戦後復興を通して、日本の戦後復興を見ることは可能かな?少なくともイメージは湧くかも?と考えたのだ。日本の戦後復興に貢献したような人物がたくさんいて、そんな中で自分が仕事をすることができるなんて、すごいことかもしれない。と思ったのだ。実際は、まぁ、イロイロと期待はずれなことも多いが(苦笑)......。

そんな中でお会いした、この人物、もともとアカデミアから上がってきた人だし、思いっきりポリティカル・アポインティーだから、省内には面白く思っていない人も多いのかもしれない。そういうウワサはたくさん聞いいた。自国にいたことはほとんどないというから、もちろん恵まれた環境で育った人であることには間違いはない。それでも、私は思った。「戦後復興にはこういう人が必要なのだ」と。「自分達の世代が復興の恩恵を受けることはできないかもしれない、でも、次の世代や、もっと若い世代のために、私はこの仕事に取り組んでいる」とまっすぐに言われたら、これはもうこちらだって協力しない訳にはいかない。
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by ahirunoko724 | 2007-08-18 20:32 | お手本